2012年8月25日土曜日

地域と美術館

 奈義町現代美術館に行って来ました。

県北方向に向かうには少しだけ決意?が必要です。
めぼしい所(私が行きたいと思う様な所)が距離的に遠く分散しており、他の施設、場所を掛け持ちで廻るということがなかなかできないため、結果的に一カ所だけを目指して、もしくはむりやりまとめての行動となるからです。

「それで何が悪い?そんな事に決意がいるの?」と言われてしまうと、お恥ずかしい限り、こうして山で自分のペースで暮らそうとしていても、やはりどこかで時間に囚われて暮らしているんですね。

一日かけてでも行こうというモチベーション
もちろん企画の良さ
そして美術館の立地ということもあります

<遠いけれど行ってもよいかな>と、
思わせる地域風土、そしていつも変わらぬ常設展示というのもあるように思うのです
それは美術館自体の姿というのも含まれるような気がします


懐かしい何かに出会える
変わらぬ存在がある

倉敷の大原美術館にもそんなところが大きくあるように思います

国立、県立、市立、町立
税金によって運営されているこうした施設(美術館、博物館、文学館、、)に対して
いろいろと厳しい話を聞く事が多くなりました

企画内容の善し悪しというのは、専門家、関係者、趣味のある人?には直接に響くように思いますが、これも美術のありかた多様性を広げようとして来た結果、それ自体は望ましい事にしろ、評価する対象、テーマとの関係性が制作者・鑑賞者間で分散してしまい、たとえ関係者間といえど全てに対して積極的な支援というのが難しくなったようにも思います。勢い、<なんとなくの気分?で応援>といった微妙なニュアンスにもなったり。


ましてや運営を評価する立場の行政機構、また納税者、一般の方々の評価となると、たちまち<誰にでもわかる客観性>といったものを要求され、
<<入館者数>><<利用者数>>、、
といった具体的数字が一人歩きしたりするんでしょう

これまで影響力のある応援者の存在でうまく行っていた、、、という過去形もあったりするかもわかりません。たしかに新たな応援者、理解者を増やすといっても急には難しいのも確か。長いスパンでは義務教育の中での扱われかたも問われます。

確かに世の中の景気が悪くなり、余裕が無くなって来た社会ではより広い範囲での理解が求められる、、、、当然のことなのでしょう。

一方、アートを手がかりに地域興しという話も多く聞く様になって来ました。
ディスカバージャパンという昔キャッチコピーがありましたが、今日的な取り組みと理解者を増やす作業、、、、。  続きます、、。


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